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2007年09月10日

大相撲秋場所

いよいよ9月場所が始まりました。横綱に昇進した白鵬の奥様は、徳島の人なんですよね。先日、徳島に出張に行っていたときに、商店街に「白鵬、紗代子さん、おめでとう!」という横断幕がかけられていました。やはり、私も含め徳島県人にしてみれば、白鵬には親近感を抱き、ご贔屓になってしまうものなんでしょうね。

 今場所は、白鵬にとっては横綱に昇進して初めての場所です。そんな特別の場所であれば、ただでさえ、緊張するというものでしょうが、今場所は朝青龍問題できっと大荒れの雰囲気。白鵬はには、さぞかし大きなプレッシャーがかかっているのではないでしょうか。初日は、投げ飛ばされての黒星スタートでした。相当なプレッシャーがかかった状況の中ですので、致し方ないといったところでしょうか。

 徳島に縁のできた白鵬には、プレッシャーに押しつぶされることなく、何とか頑張って欲しいものです。朝青龍の「場外乱闘」も含め、今場所は目が離せませんね。

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2007年09月04日

最後のセル画

アニメの「サザエさん」は、昭和40年代から延々40年近く続いているそうです。これだけ長く続き、日本国民の精神世界に何がしかの影響を与えているということは、ある意味、偉大な作品です。

 昭和40年代といえば、日本は高度成長期にさしかかり、伝統的な家族構成や生活習慣、美徳などが、まさに崩壊しようとしていたと時期ではないでしょうか。「サザエさん」の物語は、いたって日常的であり、平和そのものです。サザエさんの家族や親類、友人達は、ありそうで、ほとんどありえないような家族構成の中で、日本国民の典型として、善良そのものに平和に生き続けています。

 「サザエさん」の物語は、豊かさを求めて経済成長に邁進し、新しいものを求める一方で、古きよき日本の姿を懐かしむ日本人の琴線に触れ続けているために、かくも長く放送がされ続けているような気がします。だからこそ、情報革命が起こり、生活すべてにおいて高度にデジタル化、高速化され、個人の精神世界は極度に多様化し、無限大ともいえるほどに膨張した現代日本にあっても、昭和40年代の日常生活が、明るく、間延びしたほどほのぼのと放送され続けているのかもしれません。

 アニメーションを製作する時には、人物は、背景とは別に1コマ1コマ透明の板に少しずつ動きをつけて描いていきます。それらを撮影し、1秒間に16コマとか24コマといったスピードで流すことで、動きを表現していきます。動きが複雑に、ハイスピードになるにしたがって、当然コマ数を増やさなければ、動きがいびつになったり、下手をすれば「テレビ紙芝居」的な画面となってしますので、とにかくたくさんのセル画を描かなければなりません。アニメーションの製作は、非常に人手と手間と根気のいる作業なのです。

 より高度のアニメーションが要求されるに従い、大量のセル画を描くことの限界が訪れたのと同時にパソコンの急速な進歩により、アニメの製作は完全にパソコンを用いた手法に移行してしまいました。

 そんなデジタル社会にあって、現在製作されているアニメでは、唯一「サザエさん」だけは、セル画が使われているそうです。あえてセル画を使った昔ながらのアニメ製作にこだわっているのかどうかは知りませんが、時代遅れになってしまった手法を使っている唯一の作品が「サザエさん」とは、現代社会とははるかに乖離してしまった古きよき日本の日常を描き続けるというコンセプトにみごとに一致しているではありませんか。

 ディズニーアニメなどの著名な作品のセル画は、今でもプレミア価格で取引をされていますが、セル画が作成されない現代においては、過去のセル画は稀少な存在となり、ますますプレミアがつくかもしれませんよ。

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2007年08月30日

8月も末となり

猛烈に暑かった夏も、8月下旬になるとずいぶん過ごしやすくなって来ました。いよいよ8月も終わります。学生さんにとっては、夢のように楽しかった夏休みの終わりでもありますね。私も学生時代は、ツクツクボウシの鳴き声が聞かれ始め、8月の末が迫ってくると何とも憂鬱というか、物哀しい気持ちになっていたものです。皆さんもそんな経験はありませんか?

 開放的で明るい夏から、静かな秋へ向かう時期、ただでさえ物悲しくなるこの季節、夏休みが終わり、明日から現実が始まるとなると、憂鬱にも拍車がかかるというものですね。どうもこの時期は、医学的にも精神衛生上、よくないようですよ。

 8月から9月は、大きな時候の変わり目ですが、日常の1週間という単位の中でも気分の変動がありますね。よく言われるのが「サザエさん症候群」というものです。聞かれたこと、ありますか?

 私も小学生のころ、普段はなかなか眠たくて起きることができないのに、日曜日にはなぜか朝早くから目がパッチリと覚めるのです。早朝から家族や友達と一心不乱に遊んだものです。遊び疲れて家に帰ると夕御飯です。そのときに必ず見るテレビは、やはり「サザエさん」ですよね。「サザエさん」のテーマソングが流れてくると、
「あ~~これで楽しかった日曜日も終わりだなぁ…」
といった気分になり、子供心にもものすごく悲しい気持ちになりました。

 そんな子供の頃の心情がすっかり定着してしまっているのでしょうか、はるかに時を経て大人になった今でも、「サザエさん」が始まると子供の頃と同じような気分が蘇ってくきます。きっとそのような方は、たくさんいらっしゃるのでしょうね。

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2007年08月14日

ビール戦争

人間が本来的にもっている欲望を完全に押さえ込もうとするような法律は、所詮現実的でなく、ほとんど機能しないことは、歴史が証明しています。「禁酒法」がその最たるもので、稀代の悪法としての栄誉に浴しています。

 お酒は、人間が文化的であるためには必要不可欠なものではありますが、かといってなくては生きていくことができない、というものでもなく、やはり嗜好品とせざるを得ないのでしょうね。そのような社会や人生におけるお酒の位置づけによるのでしょうが、どうも政府にとっては、税金を取りやすいところでもあるようです。しかし、庶民もさるもの、ささやかな楽しみを奪われてなるものかと、高税率回避の様々な対抗策を打ち出してきます。

 通常、ビールといわれるものは、麦芽比率が50%以上のもので、350mlあたり77円の税金がかかります。ここで麦芽比率を50%以下にすれば税制上は発泡酒となり、税金はかなり低くなってしまうのです。そこで、同じビール風味であれば、少しでも税金の安いものでいいではないか、と第2のビールといわれ発泡酒ブームが起こったのです。

 発泡酒ブームの初期のころは、かなり割安感があったのですが、政府も手をこまぬいてはおらず、その後、税制が改正されてしまい、350mlあたり62.34円となり、ビールとの差が縮まったため、発泡酒のメリットがあまり感じられなくなってしまったのです。

 税制上の発泡種類とは、麦芽を原料としているものをいうので、次の手としては、ビール風味であれば、その他の穀類を原料ととしてもいいのではないかという考えが生まれます。麦芽以外の穀類を原料とすれば、「その他の発泡種類」と、税率の低い別の種類となってしまうからです。理屈ではそうですが、実際に麦芽以外でビール風味を出すとなるとそうそう簡単なことではありません。メーカーでは、かなりの困難を伴い、ありとあらゆる穀類を試行錯誤した結果、えんどう豆、とうもろこし、サトウキビ、大豆などで、ビール風味を出すことが可能となり、これらが第3のビールとして発売されるにいたったのです。しかし、第3のビールも、またまた2006年の酒税法の改正により、「ビール風味新分野」なるものが新設され、350mlあたり3.8円の増税となってしまったのです。

 そして今年、さらなる次の一手が打ち出されました。発泡酒に麦芽からの蒸留酒を添加すると、「リキュール・発泡性①」という分類となり、税率が下がるのです。メーカーさんも、おみごとです。必死の企業努力のたまもの、第4のビールが発売されるに至ったのです。このように、ここ数年来、ビールをめぐる政府とメーカー、メーカー間の熾烈な戦いが繰り広げられ、まさにビール戦争という様相を呈しているようです。

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2007年08月10日

2007/08/10 ビールで乾杯!!

暑い日盛りにたくさんの汗を流して働いた後に、一日の締めくくりとして一気に飲み干すビールの何と美味しいことでしょう!!お酒が呑めない方には、申し訳ないのですが、お酒を呑む人にとっては、夏のビールは人生における大きな楽しみの一つ(大げさではなく)ではないでしょうか?

 私はそれほど酒呑みではありませんので、好きなお酒は、ビール、日本酒、ワインぐらいで、その他はほとんど呑むことはありません。世界各地に存在する多くの民族は、それぞれの民族のお酒というものを持っているようです。居住地域の特産品や主要食品を利用してお酒を造ってきたのです。古くから、お酒は民族の生活に根ざした文化といっても過言ではありません。さらにお酒の甘美な酩酊により、民族の文化をも醸成されてきたといえるでしょう。

 このように人類の生活で重要な位置を占めるお酒が禁止されるという異常事態が、20世紀初頭のアメリカで起ってしまったのです。悪名高い「禁酒法」が、1920年にアメリカ合衆国全土に施行されました。以後、1933年に廃止されるまでの13年間、少なからぬ混乱に陥ってしまい、時のフーバー大統領は「高貴な実験」と皮肉ったそうです。

 アルコールは惑溺しますと風紀が乱れたり、身を崩したり、依存症になったりと、よくない面も確かにありますが、だからといって文化に深く根ざしたお酒を全面的に禁止してしまうというのは、どう考えても無理がありますよね。

 無理のある法律は、しょせん遵守されることはなかったようで、密造や闇での販売が横行し、「黒い資金」の温床となってしまい、かの有名なギャング、アル・カポネが勃興する資金源となってしまいました。庶民は修道士や修行僧ではありませんので、「お酒」という文化や娯楽を奪われては生きていくことはできないということなんでしょうね。

 日本では、戦争中に兵隊さんたちにお酒の配給があり、飯盒の蓋にお酒を入れてくれるのですが、戦争末期には飯盒の蓋に薄く張り付く程度にしかもらうことができなかったそうです。ある人が、
「お酒もまともに配給できないようは軍隊が、まともに戦ができるわけないや!」
と、憤慨したそうです。戦後も食料難にみまわれ、食うや食わずの生活。まともなお酒など呑めるはずもなく、粗悪品や工業用のメチルアルコールなどを呑んで健康被害に遭われた方もたくさんいたということです。

 いつでも好きなときに美味しいお酒が呑めるということは、平和であることの証でもあるのかもしれません。

投稿者 root : 22:18 | コメント (0)